正しくはクーラーとコンクリートじゃんごー(ジャングルね)熱とのあいだに…
゜+。(*′∇`)。+゜
激しく温度差のある私の七月十九日、土曜日の午後…
喫茶店で珈琲飲んで、若干肌寒くなり上着羽織って。
外に出たら同じ現実とは思えないほどの…
むわ~~~~ん…
…(´Д`)
蒸し蒸し暑暑。
照明ばりの日差し。
恐るべしコンクリートじゃんごー!!
今日はお休みなので東京に来ているのです。
この尋常ではない、
むわ~~~~~ん
は一体いつからなんでしょ??
江戸時代?
弥生?
縄文時代??
それともまだまだ私たちがプランクトン的なものだったときから???
温暖化、温暖化とは言われているけれど…
この、
むわわわ~~~~ん…
を感じている、感じていたのは私たちだけじゃないはず!
…なぁんて思ってみる。
しかし。
最近はおもろい方々との出会い、お話で人生に揺れに揺れている乙女心。
思えば物心ついた頃から芸能界に憧れ、目指し、今はその場所でお仕事をしている。
勉強といわれるものには然程(いや、大分)興味を示さず、人の感情の機微や姿形に魅了され、いつのまにかこの場所にいる。
他の選択肢は面白いくらい無かった。
まぁ…
ちょいちょい悩んだり、やめたいなーなんて思ったことはあったけど、やっぱり無かった。
面白いくらい無い選択肢。
でも、本当は面白いくらいある、あった選択肢。
『松尾堂』をお手伝いしてからそう思い始めたってのもかなりある。
毎回毎回いろんな職業の、その道で物凄い頑張ってる人たちが来てくれる。
その、ひとりひとりのお話を聞いていると私の“当たり前”が覆される。
その人のルーツを辿る。
子供の頃に、ただ純粋に好きだったものが原点になっている。
落語が好き、自然が好き、本が好き、映画が好き、音楽が好き、動物が好き、食べることが好き、勉強が好き、外国が好き、人が好き、虫が好き、歌が好き、好き、好き、好き…
小さい頃どこに住んでいて、どんな子供で家族で、どんな遊びが好きで何が苦手で…
どんな友達がいて、何を誉められてけなされて、何を嬉しいと感じて、何を嫌だと感じたか。
それがあって、全部あって今の、そして今があってこれからのひとりひとりがいる。
いっぱいあったのだ選択肢は。
いっぱいあるのだ、これからもずーっと。
痛みや別れも伴えば、喜びも出会いもこれからずーっと。
生きてるかぎり絶えることが無い。
途方も無く長いようで、今一瞬だけのような一生。
ひとつではない、ひとつにしていくのだなきっと。
運命や宿命なんかがあったとしても心と身体を動かすのは生きて、意志を持ってる自分だけだもの。
なんかね、
やりたいことをして欲しいのよ、生きてる人すべてに。
『そんなの無理さー。家庭も何もかもあって、そんなこと出来ないさー、簡単に言うんじゃねーよっ!』
なんて思われてしまっても、私は声を大にして言いたい。
我慢はするもんじゃなく、してるもんだと。
だから、我慢する、というのはなんだかちょっと傲慢なような気がする。
自分のために、しいてはそれが愛する周りの人たちのためになることをしたい。
愛されたかったら愛して、
もしそれが目に見えるようには報われなくても、
悲しい、辛い思いをしたぶんだけ人間のコク(大好きな蝶々さんの受け売り☆)が増すってゆーもの。
これは絶対!
でも、ただ自分勝手に欲望のおもむくままにしていては、周りに誰もいなくなってしまう気がする。
やりたいことが出来るのも、それを喜んでくれて嬉しいのも、人は人の間で生きているから。
人なくしては、やりたいことなんてものさえ無い。
いつかは皆、必ず死ぬのだから。
目一杯、やりたいことやって、生きて生きて欲しいと思うのです。
もし、辿り着けなくても。
そんなことを真面目に、真面目だけどお酒呑んだり、馬鹿なことしちゃったり、感動しちゃったりして思うのです。
やる気がめちゃくちゃあって、あって、あって、有り余って、思えば思うほど私は間違っちゃってんじゃないのか?でも、でも、でも、それでも…
って人もすごい好き。
迷っても、迷っても頑張ってる人が好き。
そんな人を見ると泣いちゃうぐらい感動しちゃう。
元気出ちゃって、ダメだダメだって思うぐらい最高のパワーに引きずられちゃうんだなぁ~。
そういう人に、私はなりたい。
だからね、やっぱりこれからもずーっとそこを大事にして生きて行きます。
何がどーこーではなく。